D論のイントロなんて?だと?

小保方氏の博士学位論文について、イントロなんてオリジナリティは必要なの?とか、イントロぐらいコピペで済ませて重要なことに注力すべきとかいう記述がタイムライン上で見かけられたので(なかには修士以上の学位持ちも、、、)、非常に悲しい気持ちになりました。もしかしてこれは自分が思っている以上に一般的な認識なのか、、、?そこで、一応研究者の端くれとして思っていることを書いておこうかと思います。職業研究者としてたかが2年目のペーペーが何を偉そうにと思うかもしれませんが、、、

博士号というのは、その人が独立した研究者としてやっていけますよという免許皆伝みたいなものです。そして、独立した研究者というのは、問題を発見し、それを解決するための方策を見つけ、それを実行できる者を指します。つまり、研究実行能力だけではなく、研究企画能力、すなわち、そもそも何をどのように研究するのかを決める能力も同じくらい重要視されるわけです。与えられた問題を与えられた方法で解くことができれば良いのは、せいぜい学部生までです。そして、博士論文のイントロというのは、先行研究をレビューし、それらの問題点や、さらなる発展が必要な点について説明し、自分が行った研究の動機づけをするところであり、オリジナルな研究を行うのであれば当然オリジナリティが発揮されるべきセクションです。その分野の最新の知識と、その中で自分がやることの位置づけを示すことが求められるわけで、研究企画能力が如実に表れます。先行研究と関係なくオリジナルなことをやらないとイノベーションは起こらないとか思うかもしれませんが、科学の世界には「巨人の肩(先人達の集合知)に立つ」という格言がありまして、先行研究と対比させて位置づけも明確化できないような仕事はもはや自己満足でしかありえません。

まあ、もしかしたら、本当にこう思ってるのってごく一部かもしれないと思えてきましたし、自分も含めてそこまで理想的なケースばかりではないと思うけれど、一応これが正論なはず、、、

翻って、小保方氏の20ページコピペ問題、これはもはや引用ですらありません。もし、「引用元」の記述があったとしても、剽窃にあたります。これを博士論文審査に本当に提出したのだとすると、これは最終試験でカンニングしたのと同じであり、落第=博士号剥奪あるいは少なくとも審査やり直しは当然だと思います(WSJによると本人はメディアに上がっているものは最終版ではないと主張しているそうなので、まだなんとも言えないかもしれませんが、、、)。

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